母性性のシンボルとしての麻

2019.12.18 Wednesday 12:26
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     ♬ 麻衣 着れば懐かし 紀の国の 妹背の山で 麻撒く 我妹(わぎも()♬

    麻の衣を着れば 懐かしく思い出すよ 紀伊の国の あの妹背山で 麻種を撒いていた 可愛いあの娘を

    この歌は 藤原不比等の息子さんが歌ったものです。

    今の和歌山県あたりでしょうか 紀の国に赴任していた時に出会った
    若い娘の事を歌っています。

    その頃には麻の栽培や 糸を作って布を作る 工程は女性の仕事とされていました

    結構な肉体労働のような気がしますが、家の庭にも麻の種は蒔けて

    どこでも順調に育つ植物として気軽に自分たちの着る物や

    時には貴族が着るような

    上等な麻衣も作っていたのかもしれません。


    万葉集の麻の歌を知れば知るほど 

    この植物の栽培や 根を引いて

    水にさらして繊維を取って 糸を縒り 機を織る。

    これらの一連の工程が
    女性の仕事だったことに気が付きます。

    農村の娘たちは 6歳か7歳になれば 母と一緒に麻畑で種をまき
     
    夏になれば 大きく育った麻を引いて 

    水にさらして 繊維を取り 糸を縒る。

    12〜3歳になれば 上手に糸を縒れるようになり、

    17歳18歳になるころには 機を織ることも学び。

    そこで初めて一人前の女性として認められます。

    お嫁さんになることが出来ました。

    そして 自分の夫の衣類を作り

    産まれてくる赤ん坊に着せるために 

    糸をやらかくして魔よけの意味も込めて

    産着を作る。

    80年前まで

    これらの工程をすべて出来る女性達が 日本の農村に、沢山いたのです。

    大麻の事を知れば知るほど この文化が 

    縄文時代より受け継がれてきた

    女性の文化だと思えるようになりました。

    世界最古の土器が残されている縄文時代は 

    今 やっと 歴史学的な観点からも見直しがなされて

    日本の歴史が大幅に書き直される必要も出てきています。

    その文化の形態は母性文化でした。

    生きる為の、狩猟のための道具はあっても

    人を殺すための武器が見つかっていない縄文時代。

    その頃から連綿と続いてきた麻の栽培。 

    その後 大麻は 律令国家の誕生に伴い

    日本の神々にとっても 

    大切な植物となってゆきます。


    この和歌は ベースの鮫ちゃんこと昔のバンドメンバーだった 鮫島秀樹さんが、担当して下さいました。
    category:- | by:早苗NENEcomments(0)trackbacks(0)
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